2022年4月、来シーズンからサー・アレックス・ファーガソンが退任してから5人目の監督の就任が発表された。
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現在、暫定監督をつとめるラルフ・ラングニックから、監督の座を受け継ぐエリック・テンハーグである。
ファーガソン退任後のマンチェスターユナイテッドの監督
名前 | 期間 |
デイヴィッド モイーズ | 2013/7/1-2014/4/22 |
ライアン ギグス (暫定) | 2014/4/22-2014/5/11 |
ルイ ファンハール | 2014/7/16-2016/5/23 |
ジョゼ モウリーニョ | 2016/5/27-2018/12/18 |
オーレ グンナー スールシャール | 2018/12/19-2021/11/21 |
マイケル キャリック(暫定) | 2021/11/21-2021/12/3 |
ラルフ ラングニック(暫定) | 2021/11/29-現在 |
テンハーグは、オランダ エールディヴィジの名門アヤックスの監督を約5年間勤めている。アヤックスの監督就任当初、アヤックス内部では、彼のアクセントを馬鹿にしていた人達がいたという。
テンハーグは現地でタッカーとよばれる東からきた男であり、その地域は地味さ、堅実さで有名なエリアであり、より「洗練された地域」であるアムステルダムの人にとって、そんな地域からきた者から、アヤックスのような偉大なチームが学ぶことはないと信じるものもいたという。
彼らは間違っていた。
就任5年間で、2回の優勝(コロナ禍で打ち切りになったシーズンもくわえれば3回)を誇り、このままいけば、3回目(4回目)も間近である。18/19シーズンのチャンピオンズリーグでは、準決勝までいき、ロスタイムでの失点がなければ決勝進出寸前までいっていた。テンハーグが、ここ数年のアヤックスの中でベストなチームを作っているという評価も確固たるものがある。
それでもマンチェスター・ユナイテッドというサッカー界で最大かつ最難の仕事をするには拙速と思う人もいるかもしれないが、テンハーグは、着実に、計画的に彼のスキルセットを最大化させてきた男でもある。
現在52歳の彼は、ユースチームのコーチ、教育部門のトップ、国内外のアシスタントコーチ、様々なレベルでの監督などを経験してきて、世界で最も有名なクラグの監督にまで到達した。
これは、サッカーに対し独自の考えを持ち、規律を重んじならがも、選手のモチベーションを重視する男、エリック・テンハーグのサッカー人生とその人となり、そこから生まれたサッカー戦術を追いかけた物語である。
テン・ハーグの監督経歴
期間 | 職種 |
2002-2003 | トゥウェンテ U17コーチ |
2003-2006 | トゥウェンテ U19コーチ |
2006-2009 | トゥウェンテ アシスタントマネージャー |
2009-2012 | PSVアイントホーフェン アシスタントマネージャー |
2012-2013 | ゴー・アヘッド・イーグルス監督 |
2013-2015 | バイエルン・ミュンヘンII監督 |
2015-2017 | ユトレヒト監督 |
2017-2022 | アヤックス監督 |
2022- | マンチェスター・ユナイテッド監督 |
テンハーグの経歴 -頂点までの道のり-
選手時代のエリック・テンハーグ -選手としては平均的だが最もサッカーを理解していた男-
オランダ東部のハークスベルヘンにある小さな町で育った彼は、牧歌的な生活で、暗くなるまでストリートサッカーを楽しんでいたという。才能があったテンハーグは、ハークスベルヘンにあるBon Boysというローカルクラブで頭角を表していく。
少年時代の友人は、今の、詳細にこだわり、規律に厳しい彼とは異なる、明るくも反抗的な青年であったテンハーグのことを覚えているが、一方で、その当時からBon Boysではキャプテンを努め、生まれながらのリーダシップを発揮していたともいう。
Bon Boysから引き抜かれたFCトゥウェンテ時代のチームメイトも、「彼は平均的な選手だったけど、キャプテンで、チームプレイヤーだったよ。プレイ中は、いつもコーチのようで、サッカーのことをよく知っていたよ」という。
とはいえ、オランダ代表やPSVのようなビッククラブで活躍した選手がいた当時のトゥウェンテには、バックラインから大声で指示を出す「平均的な選手」のことをよく思っていない選手もいた。
「彼は、一番うまい選手というわけでもなかったから、いつも選手たちに受け入れられたわけではないよ。テンハーグよりうまい選手が、彼がいうことを受け入れるが難しい時もあるよね。でも、彼はコーチのように考え続けていたし、彼が一番戦術的に詳しかったのは事実だと思うよ。」
「20年たって、彼が正しかったことが証明されたね。」
コーチとしてのテンハーグ -急がない男-
テンハーグは、2002年に選手を引退しているが、すぐにトゥウェンテのU-17のコーチになり、次の年にはU-19のコーチに昇格している。
この当時から、彼のサッカーに対する献身的な姿勢をみることができる。コーチに就任したテンハーグの最初の指示は、休暇を2週簡に短縮することだった。これを聞いた当時の選手たちは、相当に困惑したことを今でも覚えているという。選手達は急な事に驚いたが。着実に進歩もしていったという。
チームメイトだったものからみると、テンハーグは、彼自身のキャリアも「慎重に」形成してきたという。
後日、彼はトゥウェンテで、フレット・ルッテン、スティーブ・マクラーレンの元でアシスタントを3年つとめ、その後ルッテンが監督をとつとめるPSVに移籍し、そこでもアシスタントを務める。その後、コーチとなって10年目の2012年、42歳となったテンハーグは、オランダ2部のゴー・アヘッド・イーグルスのヘッドコーチに就任する。
「テンハーグは彼自身の哲学、彼自身のプレースタイルを発展させながら、一歩一歩進んできたんだ。それはとてもいいことだと思うよ。最近は、引退してすぐにトップチームを指揮しようとする選手が多すぎるね。良い選手だからといって、良い指揮を取れるわけではないよ」
イーグルスでの仕事は、一見「よい仕事」にみえないかもしれない。1996年にオランダ1部リーグのエールディヴィジから降格してから、16シーズン2部にとどまっており、チームの水準も下がっており、チームに対する期待も低かったが、テンハーグがすぐに変化を起こした。
クラブ全体のメンタリティを変えたテンハーグ -「捨てた選手」との再開-
当時、ゴー・アヘッド・イーグルスにシュールト・オーバーグールという選手がいた。
彼は、テンハーグが新しいヘッドコーチにあると聞いて、憂鬱になったという。
というのも彼は、10代の時に、トゥウェンテから放出されたが、チームでその決定をしたのがテンハーグだったのである。「僕が放出された時、彼がアカデミーのトップだったんだよ。彼から選手として十分じゃないと言われたんだ」
「僕はゴー・アヘッド・イーグルスと契約していたけど、彼が監督になったと聞いて、僕がどう思ったか、想像できるだろう?」
「だけど、結果は全く違ったんだよ」
シーズン終了後、ゴー・アヘッド・イーグルスは、17年ぶりにエールディヴィジへの復帰を果たすことになる。
昇格の中核となったテンハーグに疑問をもつものは1人もいなかった。
「僕のキャリアの中で一番特別な日だったよ」とオーバーグールも語っている。
「僕は特別な選手ではないけど、エリック・テンハーグのおかげで、エールディヴィジでプレイすることができたんだ。彼は、僕がみた中で最高の監督だよ。あれだけの監督は2部にはいないよ」
他の選手も彼について語る時、そろって出てくる言葉は、テン・ハーグがクラブ内のプロ意識を変えたことだという。それも、就任直後のプレシーズンの数週間のあまりに。
ある選手は、「小さなも街にある2部の中堅クラブだったけど、彼がきたことで変わったんだ。テンハーグはクラブのメンタリティを変えたんだ。選手のメンタリティ、そこで働く人のメンタリティを。それも1日目から。」という。
すべてに完璧を求めるテンハーグ -それはドリンクの並べ方から始まった-
テンハーグは非常に細かい。
彼がクラブで最初に指摘したことは、用具周りの管理をしていた女性が、ドレッシングルームにドリンクをもってきて、それを机に並べた時だった。その時、ドリンクは適当に並べられたが、テンハーグにはそれが気にいらなかった。
「彼は、ドリンクは一直線に並べるべきと考えてたんだ。彼の目に入るものすべてがきちんとしてなければいけなかったんだよ。みんな慣れるのに時間がかかったよ」
テンハーグのこのような逸話は数多く残っている。
「ピッチの整備をしている人がいたんだけど、エリックは毎日彼のもとに来て、芝は2ミリでないとだめだって言っていたよ。こんなことは、いままでは考えられないことで、彼はすべてを変えていったんだ」
「わすれないでほしいんだけど、イーグルスはビッククラブじゃないんだよ。良い設備なんてないんだけど、彼がそれを変えてしまったんだ。多くのコーチは、イーグルスのようなクラブにくると、妥協して、今あるもので間に合わせようとするけど、彼は違ったんだ。彼は、それを次第に改良していったんだよ」
「ある午後、トレーングで森の中を走っていたんだけど、テンハーグは、2分である距離を走るように指示していたんだけど、僕たちは、彼にアピールしようと頑張って、1分50秒で走りきったんだ。」
「ところが彼は、”だめだ!私が2分で走れといったら、2分10秒かかってはだめで、1分50秒でもだめだ。2分といったら2分だ。"っていうんだよ。彼は万事こんな感じで、計画どおりにしなければ、問題があるとみなされるんだ」
10年先にいるテンハーグ
これらの逸話はテンハーグの「厳しい監督者」としての側面を浮き立たせるが、テンハーグは違った顔も持っている。
チームの基準を上げるイノベーターとしての側面で、選手に厳しい要求をするとともに、彼らが活躍するための環境の整備も精力的に行っていた。
ユトレヒトというゴー・アヘッド・イーグルスと比較したらビッククラブからローンで移籍した選手も、詳細へのこだわりには驚かされたという。
「彼がドレッシングルームにベッドを持ち込んでトレーニングの合間に休めるようにしたんだ。それは、当時とても新しいことだったんだよ。」
ビデオ分析もチームのレベルアップに貢献した。
当時の選手も、「初めてのことだったよ。考えてみてよ、10年前のゴー・アヘッド・イーグルスだよ?」
「試合後、僕たちは彼の部屋にいって、僕たちのプレイのビデオを見せるんだ。彼は満足することがなかったね」
「彼が自分の部屋のドアに窓をつけたんだけど、僕ら選手たちは、"僕たちが何をしているかわかるようにつけだんだ"って話あっていたよ。」
この選手はあとで、テンハーグに理由を聞いたという。すると、
「彼はいったんだ、”そうじゃない。もし窓がなくて、ドアがしまっていたら、部屋に入るのが難しくなるだろう?私が忙しいかもしれないと思って、ノックもしずらいだろう。窓があることで、私に余裕があるかわかって、部屋に入りやすくなる”ってね」
「窓をおくことで、透明性のある環境を作って、コミュニケーションをしやすくしていたんだ。彼がいかにクラブ内の考え方を変えたかがわかるよ。小さい例だけどね」
テンハーグのトレーニング -戦術パターンを通して選手と会話をする男-
もちろん考え方を変えただけでは勝利はつかめない。結果を変えていくための取り組みはプレシーズンから始まっており、トレーンググランドでの長い時間が必要だった。
練習時、11対0で、相手がいない状態で練習をして、ピッチ上でボールをいかに回していくかの練習を重ねていったという。コーチにとっては、戦術を教え込む良いトレーニングになっていたが、選手にとっては退屈なものだったようだ。
「いつもゴールキーパーから始まるんだ。彼は僕たちにどのように攻撃すべきか指示しようとしていて、対角線のパスを出すようにいっていたんだ。もし僕たちがまっすぐなパスをだしたら、すぐにプレイをとめて、そうするようにさせていたよ。彼は、自分が選手に望むことに関してはすごく厳しかったよ。」
「11対0の練習を4週間つづけて、みんな、"これは何なんだ?つまらないぞ”って思っていたよ。だけど、シーズン始まって数ヶ月たつと、自分たちが何をすべきかわかるようになったんだ。みんなが同じ考え方ができるようになって、とてもクリアになって、機能し始めたんだよ」
1月になると、テンハーグは彼のスタイルを確立して、チームのムードも変わってきた。
「コーチングセッションはとても面白かったよ。」
「僕たちは、自分たちのスタイルに自信をもつことができて、どんどん良くなってきたんだ」
「フォーメーションは、アヤックスのような4-3-3が基本だったけど、時々ハーフタイムで変更することもあったけど、もはや混乱することもなかったよ。1人のミッドフィルダーを10メータ下げて、ボールを受けやすくする、そういうことで状況がよくなることを彼は知っているんだよね。それが彼のクオリティの高さなんだよ。」
テンハーグのマンマネージメント術 -すべての選手をハッピーに-
先述したトゥウェンテのユース時代にテンハーグに放出された選手は、当然のごとくゴー・アヘッド・イーグルスでも彼は自分を評価していないと思っていたという。
「いつも僕をどなっていたんだ。彼は僕のことが嫌いなんだろうと思っていたし、他の選手たちもそう言っていたんだ。それで彼に聞いてみたんだ、自分の何が良くないのかを。すると彼は、僕が90%で満足しているが、怒らせると、持てる力をもっとを出そうとして、成長していくからだって言ったんだ。」
「彼と話してわかったけど、彼は僕のポテンシャルを引き出したくて、怒鳴っていたんだよ。僕は彼に対してずっとネガティブでいたんだけど、ボジティブになれたんだ。彼は僕を信じてくれていて、もっとできると思っていたんだよ」
「トレーニング中に、彼がリラックスしていたり、笑ったりするのをみたことがないよ。彼はいつもシリアスな感じだったよ。だけど、それがトップレベルのサッカーの標準なんだと思うよ。僕たちがそれを受け入れるには少し時間がかかったけど、機能し始めたんだよ」
厳しくてもフェアであることが、ドレッシングルームで尊敬を得るための必須条件である。
「ベンチにいる選手も含めて、選手すべてが彼とプレイできて満足していたよ、実際」
と選手達も、テンハーグのチームを一体にさせる能力について語っている。
過去に分裂を経験していたアヤックスでも、選手内で雰囲気が問題になることはなかったという。
「彼はいつも選手に良くしていたよ。いつも選手を守ってくれていて、時に厳しい時もあったけど、選手たちは、出場できている、できていないに関わらず、いつもとてもポジティブだよ。チームを去る選手さえもね。みんな、彼が良い人で、良い監督であるといっているよ。」
ネクストステップ -チームには良すぎる人材-
昇格後、テンハーグはゴー・アヘッド・イーグルスを離れて、当時、ペップ・グアルディオラが監督をしていたバイエルン・ミュンヘンのリザーブチームのコーチに就任した。
「驚いたし、少し失望したよ。彼は僕を成長させてくれるとしっていたからね。だけど、彼は僕たちには良すぎる人だったんだ。だから移籍してしまうのも仕方ないよね。選手でも同じことがいえるわけだし。」
「でもついていたのは、エールディヴィジの初年度、前年いた11人のうち9人が残っていたので、エリックがいなくても彼が求めたようにプレイすることができたんだ。だから、その年、僕たちはエールディヴィジに残れたんだ。」
テンハーグのスタイル -自分を選手達に適応させる-
その後、ユトレヒトの監督に招聘されたテンハーグは、彼自身もゴー・アヘッド・イーグルスの時から進化することが求められた。フォーメーションもゴー・アヘッド・イーグルス時代の4-3-3から2トップに変えたが、初年度5位となり、2年目は4位となり、クラブをヨーロッパに導いた。
「彼は、自分を選手に合わせるタイプだと思うよ。ゴー・アヘッド・イーグルス時代には、ウィンガーが両サイドにいたので、攻撃的なパスサッカーでゲームを支配していたけど、ユトレヒトでは、所属している選手の特性にあわせてフォーメーションを変えたんだ。彼は、オランダの伝統的な4-3-3に固執しているわけではなかったんだ」
アヤックスでは、4-3-3フォーメーションに戻しているが、ピッチの内外で調整を加えている。アヤックスは元々自分たちがどのようなクラブであるべきかについて明確な哲学をもっているクラブであり、彼のやり方を浸透させるには時間がかかった。
「最初はみんな彼になれる必要があって、へんなアクセントの東からきた気難しい男で、最初はアヤックスにはフィットしていなかったけど、数週間で彼らのメンタリティを変えたんだ。実際、彼はクラブの基準を変えたんだ」
アヤックスのテンハーグ
2017年12月、アヤックスはその年の夏に監督に任命したばかりのマルセル・カイザーを早々に解任したが、当時フロントにいたマルク・オーフェルマルスが呼び寄せたのたテン・ハーグであった。実は、その5年前にゴー・アヘッド・イーグルスの監督にテン・ハーグを指名したのもオーフェルマルスであった。
元々アヤックスは、過去4連覇を成し遂げたフランク・デ・ブールを呼び戻すつもりではないかと言われた中で、東の田舎からなまりのつよいしわがれ声のテン・ハーグの就任に疑問を持つ声も多かったが、結果は知っての通りである。
先述のように、2つのリーグタイトルをとり、3つめも目前である。質の高いフットボールを展開し、チャンピオンズリーグでも決勝にいってもおかしくないような素晴らしい戦いを見せた。
テン・ハーグの戦術
アヤックスの主力選手
Pos. | 背番号 | 選手名 | 国籍・代表 | 生年月日 | 身長 |
GK | 24 | アンドレ・オナナ [André Onana] | カメルーン代表 | 1996年4月2日 | 190cm |
GK | 32 | レンコ・パスフェール [Remko Pasveer] | オランダ | 1983年11月8日 | 187cm |
GK | 16 | ジェイ・ホルテル [Jay Gorter] | U-21オランダ代表 | 2000年5月30日 | 190cm |
GK | 1 | マールテン・ステケレンブルフ [Maarten Stekelenburg] | オランダ代表 | 1982年9月22日 | 197cm |
CB | 21 | リサンドロ・マルティネス [Lisandro Martínez] | アルゼンチン代表 | 1998年1月18日 | 175cm |
CB | 2 | ユリエン・ティンバー Jurrien Timber | オランダ代表 | 2001年6月17日 | 179cm |
CB | 3 | ペール・スフールス [Perr Schuurs] | オランダ代表 | 1999年11月26日 | 191cm |
RSB | 12 | ノゼア・マズラウィ [Noussair Mazraoui] | モロッコ代表 | 1997年11月14日 | 183cm |
RSB | 5 | セーン・クライベル [Sean Klaiber] | スリナム代表 | 1994年7月31日 | 184cm |
RSB | 15 | デヴェイヌ・レンチ [Devyne Rensch] | オランダ代表 | 2003年1月18日 | 179cm |
RSB | 53 | リアム・ファン・ヘルデレン [Liam van Gelderen] | U-19オランダ代表 | 2001年3月23日 | 178cm |
LSB | 17 | デイリー・ブリント [Daley Blind] | オランダ代表 | 1990年3月9日 | 180cm |
LSB | 31 | ニコラス・タグリアフィコ [Nicolás Tagliafico] | アルゼンチン代表 | 1992年8月31日 | 172cm |
CM | 8 | ライアン・グラフェンベルフ [Ryan Gravenberch] | オランダ代表 | 2002年5月16日 | 190cm |
CM | 4 | エドソン・アルバレス [Edson Álvarez] | メキシコ代表 | 1997年10月24日 | 187cm |
CM | 20 | モハメド・クドゥス [Mohammed Kudus] | ガーナ代表 | 2000年8月2日 | 177cm |
CM | 25 | ケネス・テイラー [Kenneth Taylor] | U-21オランダ代表 | 2002年5月16日 | 182cm |
AM | 6 | デイヴィ・クラーセン [Davy Klaassen] | オランダ代表 | 1993年2月21日 | 179cm |
AM | - | モハメッド・イハッタレン [Mohamed Ihattaren] | オランダ代表 | 2002年2月12日 | 183cm |
AM | 19 | ザカリア・ラビアド [Zakaria Labyad] | モロッコ代表 | 1993年3月9日 | 175cm |
AM | 26 | ヴィクトル・イェンセン [Victor Jensen] | U-21デンマーク代表 | 2000年2月8日 | 175cm |
RW | 11 | アントニー [Antony] | ブラジル代表 | 2000年2月24日 | 174cm |
RW | 23 | テフェン・ベルハイス [Steven Berghuis] | オランダ代表 | 1991年12月19日 | 182cm |
LW | 10 | ドゥサン・タディッチ [Dusan Tadic] | セルビア代表 | 1988年11月20日 | 181cm |
LW | 30 | モハメド・ダラミー [Mohammed Daramy] | デンマーク代表 | 2002年1月7日 | 180cm |
CF | 22 | セバスティアン・ハラー [Sébastien Haller] | コートジボワール代表 | 1994年6月22日 | 190cm |
CF | 18 | ブライアン・ブロビー [Brian Brobbey] | U-21オランダ代表 | 2002年2月1日 | 180cm |
CF | 9 | ダニーロ [Danilo] | U-23ブラジル代表 | 1999年4月7日 | 174cm |
アヤックスのフォーメーション
ポゼッション時 の戦術
フォーメーションはクロップやグアルディオラと同様に、一般的な4-3-3がベースのフォーメーションがベースであるが、縦と横を幅広く使うこと、デコイラン(囮の動き)、対戦相手のプレッシングやブロックへの対応法などにチーム内で一貫したルールと特徴がある。
テン・ハーグのアヤックスは、ゴールキーパーを起点に、センターバック2枚とあわせて深い位置からビルドアップしていく。これ自体は、従来からよくあるビルドアップの仕方で、センターバックは足元に自信があるものが配置され、積極的に前方へパスを供給していく。
特に相手が1トップか2トップをとってくる場合(大抵がそうなるが)、センターバックとゴールキーパー+フルバックの1人か場合によっては両者がセンターバックの近くに降りてきて、相手のプレッシング、ブロックに対応していく。
アヤックスは、しばしばフルバック1名(デイリー・ブリントかノゼア・マズラウィ)を下げて、深めのセンターバックに近いポジションをとって、守備を固めてくるが、こうすることで、フルバックが時間とスペースを持てて、深い位置にいるプレイメーカーのような役割でパスのオプションを探していく。(特にブリントは前方へのパスに長けており、アヤックスは彼から前進していくことが多い。)
この辺は、ペップの4-2-4でのフルバックの使い方に似ている。
中盤でも、2人の守備的MFをずらして配置し、一人を前にだして、1名のピボットの形をとる。これにより、相手の前線の選手達をひきつけ、その間を狭くさせる、まさにアンカーのような役割をもつ。この辺もペップのシティのロドリの役割に近い。
このようなしっかりした基礎のもと、テン・ハーグのビルドアップが構成されているが、この辺はオーソドックスなものでもあるが、アヤックスでは、そうすることにより、単にビルドアップ時に前進を始めることができるということだけでなく、練度の高い動きで、様々なフォーメーションの相手に対処することも可能にしている。
前進させる観点でみると、落ち着いてポゼッションできている場合、重要なのは、パスの受け口を広げること、パスをする時間とスペースをつくること、パスの受け手がよい状態でパスを受けれることである。
前述のようにアヤックスの守備時、フルバックがセンターバックに寄っていって、近いポジションをとるが、それに反してタディッチやアントニーなどのウィンガーはポジションを広くとる。
それにはいくつかの目的があって、1つは、ウィンガー(基本的に利き足と違う側によっているウィンガー)はおちついてパスを受けることができ、中へのドリブルにつなげることができる。この点、アントニーとマズラウィはよく連携されていて、マズラウィは、どういう時にアントニーを1対1の局面すべきかがよくわかっている。
2つ目の理由として、相手のブロックが横に広がることで、アヤックスはそのスペースを利用することができるようになり、下からのチャンスメイクが可能になるからだ。チャンスはファイナルサードからだけ作られるわけではなく、ずっと前のフェーズの動きの中でブロックをずらしていきながらつくられていくわけだ。
ポゼッション時に問題が発生した時の戦術
ポゼッション時に問題が発生した時、アヤックスにある非常に複雑な動きの原則が発揮される
ゴール前からプレッシャー受けている時、アヤックスは、センターバックが縦方向にいわゆるデコイラン(囮になる動き)をして、キーパーからのパスの経路をひろげていく。そうすることで、テン・ハーグのアヤックスはプレイ原則を維持したまま、リスクの低いエリアでプレイすることができる。
ここでのセンターバックの動きは、通常のセンターバックとは大きく異なる動きとなる。
通常、センターバックはポゼッション時でも、彼らが守備時の最後の砦になるので、リスクヘッジのため、前にでることはしない。
ところが、アヤックスの場合、たとえばチャンピオンズリーグのドルトムント戦でみられたように、CBのリサンドロ・マルティネスはスローインの時でさえ、アグレッシブに空いているスペーズに出ていこうとして、彼自身がスローインの受け口としてのオプションになろうとしている。そうするとCBのペアを務めるユリエン・ティンバーとラインが大きくズレることになり、とてもハイリスクな状況になっているようにみえる。
さらに落ち着いててビルドアップできる時でも、マルティネスは自分のポジションを空けていることが多い。意識的にラインをずらしており、こうなるとセンターバックとも呼べなくなるかもしれない。
それで中盤の底にいるアルバレルのマークがずれて、深い位置でボールをうけれるようになる。この段階でもマルティネスは、ラインをずらしたままで、中盤のアルバレスとCBのマルティネスが縦方向でポジションをローテーションしたような形になる。この時ブリントはリスクヘッジで下がってケアをしている。
このような動きは、通常攻撃に、ピッチの前側で行われるもので、深い位置のビルドアップ時に、しかも頻繁に行われるのは珍しい。
ここまで幅広くピッチをつかうと、ポゼッションを奪われた時のディフェンスに問題が発生するのだが、実際、多くのプレイヤーがボールの前に位置するため、ディフェンスへの移行時に人がたりなくなる。これは実際にテン・ハーグの戦術の中での課題の一つだろう。
テン・ハーグがプレミアリーグに来たら、チームのビルドアップ時にどれくらいピッチを広くつかっていくのは検討しなおさなければいけなくなるだろう。いうまでもなく、センターバックが、相手の前線からプレッシャを受けている時に、ボールも持たずに、ディフェンスラインを離れていくのは大きなリスクを負う。
一方で、レフトバックを下げて、守備のケアをさせるなどポゼッション時に明確なルールをもつことで、ある程度リスクは軽減されている。戦術的な明解さがチーム内になく、自陣でよくボールをうしなうチームと比べれば、テン・ハーグの戦術はリスクが少ないもののようにも見える。
また、このようなテン・ハーグのビルドアップの原則は、今までのマンチェスター・ユナイテッドの(それが明確な形であるのだとしたらだが、)原則のバージョンアップ版にはなるだろう。
攻撃時のテン・ハーグの戦術
攻撃をすすめる時も、アヤックスでは同じ原則で行動している。横幅を最大限につかうことで、横方向で優位を保ち、相手のブロックを広げて、縦に動く、あわせて、デコイラン(囮の動き)で、相手のディフェンスのブロックの穴を引き裂いていく。
守備的な中盤の中で、やや前に位置しているライアン・グラフェンベルフと中盤の攻撃的な位置にいるステフェン・ベルハイスが、しばしばスペースを空けて、上がっていくことが多い。合わせてFWのセバスティアン・ハラーが下がってきて、彼らと連動していく。そうして壁パスを利用しながら、チーム全体で3人目の動きをする選手をつくって、そこにボールを供給していく。
アヤックスのプレイには現実主義的な要素もあって、彼らは特に、攻撃をするとき、選手達に、彼らの強みをいかせないようなシステムであったとしても、それに沿った動きをさせるのではなく、彼らのプレー原則と選手のスキルを最大化させることを両立させている。
たとえば、アントニーはやや下がり気味のタッチラインに近いところで1v1の状況を好んでいて、ここから質の高いインスウィングのクロスを上げたり、同じサイドのサイドバックのマズラウィがオーバラップしようが、しまいが好んで1対1の状況になる。
先述のドルトムンド戦では、アントニーは、3つのアシストを決めている。1試合でテン・ハーグの戦術のすべてを語れるわけではないが、ここからアントニーが右サイドで好む位置、クロスを上げる角度などをみることができる。
ここで重要なのは、今まで述べてきたような、選手間の動きや幅を広くつかうことで、アントニーのクオリティを生かしていることである。こういったことが、テン・ハーグが生み出す攻撃のクオリティを重層的にしている。
ディフェンスへのトランジッション
ディフェンスへの移行(トランジッション)という観点でみると、アヤックスはとてもうまくやっているチームでもある。ボール近くに人を集めることで、ポゼッションを失った時に、カウンタープレスでトランジッションの芽を摘むことができるようになっている。
しばしば言われるようにこれには問題点もある。
アヤックスは、フルバックへの依存が強い。ブリントとマズラウィはビルドアップやボールの前進、ファイナルサードでのオーバーラップやアンダーラップにに欠かせないだけでなく、ディフェンスのリスクヘッジにも欠かせない存在になっている。
ユナイテッドにおけるテン・ハーグの戦術はどうなるのか?
前述のようにテン・ハーグがどのような選手を使うのかによるだろう。
テン・ハーグのアヤックスは、とても印象的なプレイ原則をもっているが、必ずしもユナイテッドがアヤックスのようにプレイするとは限らないし、ユナイテッドが4-3-3でプレイするとも限らないが、当然一定程度のそのエッセンスは移行されていくだろう。
チームとして、一環したルールのもとで、ボゼッション重視のサッカーが展開されることは間違いないだろう。
ユナイテッドの監督にむけて -成功のためには、時間と忍耐が必要-
テン・ハーグはずっと周りの人の誤りを正すことをし続けてきたが、マンチェスター・ユナイテッドの監督となった時、同じようには行かないかもしれない。競争が激しく、監督の入れ替えも激しいプレミアリーグで彼に十分な時間が与えられるだろうか?
イーグルスでも、ユトレヒトでも、アヤックスでも、時間が与えられた環境ではどこでも彼は自分の能力を証明してきたが、彼を高く評価する人々も、ユナイテッドで同じようになるのか、疑問を持つものが少なくない。
最初は、選手を当惑させた彼のトレーングメソッドも問題になるかもしれない。
「彼は繰り返し繰り返しすることが多いんだ。ユトレヒトでも、アヤックスでも最初は問題になったんだ。彼は、自分の哲学を選手に叩き込むため、とてもハードに、長い時間トレーングしていたんだけど、選手たちは慣れていなかったんだ。」
一方で、イングランドでは状況は異なるという意見もある。
「僕は11対0のトレーニングをユナイテッドではやらないと思うよ。彼がそれをしたのは、僕たちが十分なレベルなく、そうする必要があったからなので、実際ドゥサン・タジッチやダレイ・ブリントには、やらないし僕らより自由にやっているよ。クリスティアーノ・ロナウドに何をすべきかを説くことはないんじゃないかな」
テン・ハーグがアシスタントを努めていたトゥウェンテで、監督をしていたスティーブ・マクラーレンは、イングランドにおけるメディア対応についてよく話をしていたようで、マンチェスター・ユナイテッドともなると1日24時間追いかけられることになり、そういうことにも慣れていなければいけないだろう。
オランダ人の中でビッククラブで指揮をとった世界的監督といえるのは、マンチェスター・ユナイテッドで指揮をとったルイス・ファン・ハール、レアル・マドリードで指揮をとったレオ・ベーンハッカー、フース・ヒディング、バルセロナで指揮をとったヨハン・クライフとロナルド・クーマンに限られている。
一方でテン・ハーグは、ユース年代のコーチからキャリアを積み重ね、オランダーサッカーもドイツサッカーにも熟知している。
次のステップであるイングランドでは、どういった取り組みがみられるのか?
興味が尽きない。
プレミアリーグ 最新順位
順位 | チーム | 勝点 | 試合数 | 勝 | 引 | 負 | 得点 | 失点 | 得失点差 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | リバプール | 76 | 32 | 23 | 7 | 2 | 83 | 22 | 61 |
2 | マンチェスター・シティ | 74 | 31 | 23 | 5 | 3 | 72 | 20 | 52 |
3 | チェルシー | 62 | 30 | 18 | 8 | 4 | 64 | 23 | 41 |
4 | トッテナム・ホットスパー | 57 | 31 | 18 | 3 | 11 | 56 | 38 | 18 |
5 | アーセナル | 54 | 31 | 17 | 3 | 11 | 45 | 37 | 8 |
6 | マンチェスター・ユナイテッド | 54 | 33 | 15 | 9 | 9 | 52 | 48 | 4 |
7 | ウェストハム・ユナイテッド | 52 | 33 | 15 | 7 | 11 | 52 | 43 | 9 |
8 | ウォルバーハンプトンヴァーハンプトン・ワンダラーズ | 49 | 32 | 15 | 4 | 13 | 33 | 28 | 5 |
9 | レスター・シティ | 40 | 30 | 11 | 7 | 12 | 46 | 50 | -4 |
10 | ブライトン・アンド・ホーヴ・アルビオン | 40 | 32 | 9 | 13 | 10 | 29 | 37 | -8 |
11 | ブレントフォード | 39 | 33 | 11 | 6 | 16 | 41 | 49 | -8 |
12 | サウザンプトン | 39 | 32 | 9 | 12 | 11 | 38 | 52 | -14 |
13 | クリスタル・パレス | 37 | 31 | 8 | 13 | 10 | 40 | 40 | 3 |
14 | ニューカッスル・ユナイテッド | 37 | 32 | 9 | 10 | 13 | 36 | 55 | -19 |
15 | アストン・ヴィラ | 36 | 31 | 11 | 3 | 17 | 42 | 46 | -4 |
16 | リーズ・ユナイテッド | 33 | 32 | 8 | 9 | 15 | 38 | 68 | -30 |
17 | エバートン | 28 | 30 | 8 | 4 | 18 | 33 | 52 | -19 |
18 | バーンリー | 25 | 31 | 4 | 13 | 14 | 26 | 45 | -19 |
19 | ワトフォード | 22 | 32 | 6 | 4 | 22 | 30 | 62 | -32 |
20 | ノリッジ・シティ | 21 | 31 | 5 | 6 | 21 | 22 | 66 | -44 |